銀杏小道

「東京の大学」生の手帳

大学オンライン授業の感想

はじめに

5月もはや半月が過ぎたところです。早い。はやすぎる。大学のオンライン授業が始まっておよそ1ヶ月が経とうとしているところです(この辺で大学名がバレそう)。1ヶ月受けてみて色々と感じるところがあるのでさっくりまとめていこうかと思います。

本学のオンライン形式は、zoomでの授業、情報基盤的なsomethigのサイトでの課題・レジュメ一括管理、で成り立っている、ということを前提にお付き合いください。

感想

まずパッと思いつくのが、これまでの授業においていかに情報基盤的なリソースがあまり活用されていなかったかをしみじみ感じたことである。というのは、大学の授業では、レジュメ・課題等を一括で管理するサイトが(多分どの大学にもある程度は)存在するのだが、オンライン授業になった途端、このシステムがパンクするようになったことがきっかけだ。オンライン化に伴い、大学の講義の開講数は、少なくとも1,2年生用の授業に関してはかなり減っている。にも関わらず、サイトがパンクするということは、これまでの授業においてあまり活用されてこなかったことを示しているように思われる。確かに、必修である語学や少人数でのゼミにおいて対面であればプリントを配布するのみ、出欠確認はオフラインで、ということで全く使わずに済んだ授業も存在はする。しかし、増え方が異常だなあ、、、と率直に感じた。

また、学外から大学が契約しているデジタル媒体にアクセスする機能が急激に使われるようになった、というより2年生であってもほとんど使ったことがなかったという人がかなり多かったことに大変驚いた。2年生であってもまともに学外アクセスを使うのは初めてだからそこまでデータベースに詳しくない、まとめられている記事がバズる、のように少しカルチャーショックだった。

メリット・デメリット

これは大学がオンラインしたからなのか、在宅で諸々の生活をこなし続けることからきているのか、ということが明確には分けられていないですが、1ヶ月過ごしてメリット・デメリットを考えたので箇条書きにして終わろうと思います。

メリット

・キャンパスを横断して授業を受けることが可能(別キャンパスの授業を連続した時限で受けられる)
・満員電車に乗らずに済む
・集中力を持続させるために画面のこちら側でいくらでも工夫ができる
・初めて受ける教授の授業においての質問のハードルが下がる
・体調が悪くても授業を聞くことだけはできる
・生きてさえいれば授業においてかれはしない
・オンデマンドであれば、その時限で受けたかった授業が受けられる・週のスケジュールを最適化できる
→他の勉強に取り組みやすい

そこまでこれまでと変わらないこと

・授業そのものの情報量・質(特に法学や社会科学系(教員の方々本当にありがとうございます

・マスプロ授業のすべて

デメリット

本や論文に対するアクセスが難しい

受講している授業の学習の幅が広がらない・今日にある他分野へのアクセスが困難

本にかかる費用がかなり急激に増えた

・デバイスを持っているか否かが与える差異の拡大
・集中力が持続しない
・環境が居住空間なので、どうしても切り替えが難しい
・学食・お弁当がないので昼休みが足りない
・普通に目と肩が異常に痛い、もうとにかく痛い
学友との情報共有、教えあい、議論、のハードルが上がる

・ちょっと隣に聞く、が不可能になる
・匿名性の担保が難しい
・レポート課題が多く、図書館が使えない現状とのミスマッチの発生
・そもそも課題が増えた
・去年から取ってた授業における教授との距離感が遠くなる
・気になる授業を覗くという目論見の実行が厳しくなる
・(私はスライドよりレジュメの方が好きなのに)スライド形式が多くノートが取りにくい
・夜終わるのが遅く感じる

 

終わりに

少しずつ追記していこうかなと思います。ただ、思ったのは、英語文献のオンライン化はかなり進んできているので、デメリットのうちの大部分は今あるシステムの改善でなんとかなるものも多いように感じました。大学側に学びの機会を提供してもらったことに感謝するばかりです。ただ、私個人としては、オフラインでキャンパスでゆっくり頭を使い、学友と語らいながら学びを深める、という大学のあり方が残るべきだと考えておりますので、この状況が収まってまた通えるようになることを待つばかりです。

「しっかり学ぶ初級ラテン語」を用いたラテン語学習

はじめに

GWも終わり、とうとう家での引きこもり生活も佳境に入ってきた大学二年生である。最近ラテン語の学習を始めたので、自分のモチベ維持のためもあり、用いている教材の紹介を行いたいと思う。

教材はこれ「しっかり学ぶ初級ラテン語

https://www.amazon.co.jp/しっかり学ぶ初級ラテン語-Basic-Language-Learning-山下/dp/4860643666

語学勉強遍歴

教材レビューをする前に、まず、これまで私がどんな感じで語学の勉強をしてきたかをさらっとまとめることにする。

~高校生

高校生までは特に言語を何かやろうと思ったことはそこまでなく、「受験で使うし、将来読み書きをたくさんしなきゃだもんな〜」という浅いモチベーションの元英語を勉強していた。

私の勉強の仕方は若干偏っていて、いわゆる「文法偏重」型である。多読とか、長文読解から、とかではなく、とにかく文型と文法事項を頭に叩き込んであとはパズル!!!みたいな文章の読み方である。私自身はこの勉強の仕方が一番何にでも応用が効くと思うので好きなのだが、唯一、英作文に関しては慣れが足りなさ過ぎたために大変苦労した(大学に入ってから受講しなければならなかった英語で論文を書く授業でも、英語を「かく」ことに苦労した。

大学生〜

大学生になると、私の所属している大学では第二外国語の授業が必修で存在する。私は「ドイツ語」を選択した。理由としては、文法が中心の言語であったことから自分の学習方法に適していたこと、ドイツ語文献には哲学や法学、政治学の分野において重要著作が数多く存在するため、それを読めるようになると将来役立つかな?と思ったためである。

英語に関しては、大学の授業やゼミなどで英語論文や記事を大量に読むようになったことで長文を読むことには慣れたが、単語がかなり抜け始めているのを感じている。そろそろ資格対策の勉強を本格化させなければならないところである。

さっくりまとめると、英語もドイツ語も文法中心で勉強してきた!というところである。(うちの大学はなぜか1年間で基本的な文法事項を全て片付けてしまうので、一応ドイツ語の文法の勉強は終わっていることになる。

ラテン語

そんなこんなで、今年からラテン語とフランス語の勉強を始めた。フランス語は、自分が今一番興味のある「政治哲学」の分野で相当重要な文献が多いこと、ラテン語はヨーロッパの諸々を勉強するに当たっては絶対に少なからず出てくる可能性が高いことからチョイスした。

イメージとしては、「英語:語順、文型!!!!!」「ラテン語:格!!!!!!!」「ドイツ語:格と語順!!!!!」である。ラテン語は格変化で全てを終わらせようとするあまり語順はなんでもいいというかなり面白い言語である。ドイツ語で格変化+語順をやってから入ると英語からラテン語よりはとっかかりが良かったように感じる。フランス語は知りません、読み方が難し過ぎます。

本の構成

12章で構成されているので1週間に1章やるとだいたい1学期分くらいで終わる計算の文法書。これは私にぴったりの構成になっている。というのも、先述のように、私は基本的に語学は「文法!!!」で学びたい、もっというと、活用表とかカッツリまとまっているもの+例文とその解説+練習問題でがっつりout putで学んでいきたいのに対して、この本は全部まとまっている。解説もくどくなく、かといって難し過ぎないちょうど良い難易度。ただ、格変化が異様に多いので、ドイツ語とか、フランス語とかみたいに格変化が多いヨーロッパ系の言語をやってからの方がとっかかりやすい気もします。その辺は各自の語学経験次第。

文法解説

基本的にある重要な単語を使いながら活用表を並べられて暗記をさせられ→それに関して解説がなされる、という構成になっている。しっかり最初に活用表などがまとまって→解説という流れになっているため、かなりとっかかりやすい。読みやすさだけを意識してまとまりが悪い参考書も存在するので、この参考書はすっきりしていて本当に使いやすいなと思った。

例文

例文はナンバリングされていて、その例文だけでも完全に自分のものにできると相当楽にラテン語が読めるようになるのだと思う。私はまだ全然覚えられていない。例文を見て、それまでに習った文法事項を元に自分の頭で解析して、解説を読む、という工程を踏むと、文法事項が身につく、気が、する。

練習問題(+確認問題)

本著作の最大のポイントだと思う。練習問題と解説の比率がちょうどよく、問題に対するヒントや解説が充実している。言語の参考書は、学校用に問題の解説がついていないものも多いが、この参考書はかなり詳しめに解説がついているので、かつ、語彙に関しても解説がなされているので、独学で進めるのに適したものになっているように思う。

まとめ

こんな感じでかなり使いやすい構成になっている。私個人的には、基本ラテン語は文献購読にしか使わない気がするので、読めるように慣ればいいというお気持ちの元、文法重視でやっている。基本的にメインで使う言語以外は読めればいいと思うので、妙に作文問題が多い問題集などはお勧めできないなというのが正直なところです。

終わりに

今回は、ラテン語教材の紹介をするという謎記事を作成しました。というか前回の記事が意外と伸びてて面白かったです。もし何か読みたい記事の内容等ありましたらコメント等お待ちしています(需要がない)

 

勉強のための読書ノート-iPadとGood Notesを使って

はじめに

今回は読書をするときのノートの取り方と題して、長期休暇が伸びてしまって多少暇な大学生(2年生になった)がどんな風に勉強しているのか(読む本は、各分野の教科書とか、入門書)を記していこうと思う。

 

より専門的かつ研究に寄った内容についてはこちらの記事を参考にしていただきたいし、学部2年生であるとはいえ、私なりの方法が正解なわけではないので適宜ツッコミをお待ちしたいところである(とは言ってもこのブログほぼ読まれた試しがない)

penguinist-efendi.hatenablog.com

ノートを取る目的

趣味は読書と音楽鑑賞(最近は主にKalafina)みたいなところがある私だが、高校生時代から自分の本の読み方、より詳しく言えば読んだ内容を頭に定着させる方法と量を読むことの並立の仕方、についてかなり悩んできた。

速読形式に読んでみたり、1行1行かなり詳しめに読んでみたりしたこともある。速読形式にすると新書とかを読んだ時にはかなり有用なのだが、少し詳しい概説書だったり大学の教科書(自分が履修していないもの)、また古典的著作を読む時にはこの方法は適さない。なぜなら頭の中に話の流れが残りにくいからである(あくまで個人的感想だが)。一方で1行1行綿密に読みすぎると、本全体の内容が頭に入ってこないことが多々あるので困りものだ。

そこで、それなりなスピードで読めつつ、その本の内容が少しでも頭に残りやすいようにノートを取りながら本を読む、という方法を編み出すことにした。おそらく他の人がすでに実践している方法だとも思えるが、見た目上同じ目的・同じ方法でも細かいところは若干異なる気がうするので参考にしていただけるとありがたい。

使うツール

私自身はiPad(無印第7世代・ストレージ32GB)、Apple Pencil(第1世代)を利用している。これ、合計で5万くらいで買えてしまうのでかなりオススメの組み合わせである。

そして、アプリはGood Notesを使っている。他にもOne Noteや純正のメモ帳、とにかく何か書きやすいノートアプリかメモアプリがあるといいだろう。

GoodNotes 5

GoodNotes 5

  • Time Base Technology Limited
  • 仕事効率化
  • ¥980

apps.apple.com

なぜ、アナログ方式にノートとペンではなく、iPadなのか、というのにも一応理由がある。まず、アナログ方式で考えた際にはルーズリーフとノートの二択が発生するが、ルーズリーフはなくす上に保存に適さないので私の中で却下。そしてノートという選択肢が残るわけだが、ノートだとバサバサと何冊も新しく開けにくい上に、開けたら全て使い切らないともったいない気がしてくる。後述のように、少なくとも分量が多くなりそうな単行本については何も気にしなくていいようにノートを一冊ずつ分けて使いたくなってしまったので、good notesのようなデジタルな媒体かつ、ノートをフォルダ分けできるものを選ぶことにした。

また、では今ブログを書いているようにパソコン等でノートを取れば良いのではないか、というような選択も出てくるだろう。レポート等を書くためのリサーチに関するノートはあとで引用する時に便利であるからキーボードを用いてパソコンに残しておく、というような手段が適しているような気がするが、ただ単に家で勉強ツールとして使う場合には、図示したり、iPadのカメラから直接図を取り込んでノートに反映させたり、箇条書きしたりというようなことはやはり手書きの方がやりやすいのである。

具体的な方法

ノートはどう分ける?

ここからは具体的にgood notesをどのように使いながら読書ノートを取っているのかを説明していこうと思う。私は単行本で内容としてかなり厚いものだったり、ある程度内容の濃い教科書の場合、ノート一冊分を使うことにしている、とは言ってもデジタル式なので、表紙とそのノートの罫線の形さえ定めれば自分の使う分で1冊のノートとなる(例えば5ページのノートと40ページのノートが共存可能なのである)(Good Notes便利〜)。さらにノートはフォルダ分けが可能なので、アプリの中がノートで溢れても分野に応じてスッキリ整理することができる(Good Notes便利〜〜)。

つまり、今私が読んでいる法律文化社の『正義論』という本があるのだが、これで1冊分のノートを作り、それを「政治哲学」とか「正義論」みたいなフォルダを作ってまとめるのである。本当に便利。

ノートを取る時のイメージ

次にどのようにしてノートを取っていくのかを紹介する。ノートを取る時には、「講義を再現する」ようなイメージで取る、ということを意識すると上述の「本の流れを維持させながら内容を頭に残す」ことが可能になる。つまり、本の内容を講義に見立て、その内容を一回頭に再現しながらノートの形にまとめていくのである。これを行うと、まずは1文1分にこだわりすぎることなく1段落分くらい読み、その内容をノートにまとめることで、自分が理解しやすかったところはすんなりまとめられるので時間があまりかからないし、もし頭の中でまとめきれなかったら、もう一度読むというような形で理解できるまで読み続けることが可能になる。

特に「自分が大学でまだ勉強していないが興味分野と関連している分野」、みたいな長期休暇に勉強しがちな分野に関しては、知っている部分と知らなかった部分が混在していることもある。以上のようなノートの取り方をすることで、その差を洗い出し、知らなかった部分に集中して時間を割くことが可能になるし、知っていた部分についても自分の頭で整理するので頭に内容が残りやすくなる。

利点

以上のように、この読書ノートの取り方は、主に取る時に頭が整理されることを目的として自分の中で作り出したものだが、「本を講義に見立ててノートをとる」というイメージを持つことでえられるさらなる利点にも気づいた。

それは、講義ノートと同値なら復習にもとても便利!!!ということだ。考えてみれば当たり前なのだが、というかここに書いていること全部考えてみたら当たり前なのだが、自分がいつも講義や高校の授業の時に取っていたようなノートの取り方で本を読んでいる訳であるから、その本の内容を自分に合った形で復習することが、このノートをつかえば簡単になのである。

そんなわけで最近手書き読書ノートwith Good Notesにはまっている。という話でした。

 

 

コロナで余力のある文系高校生が読書で有意義に勉強を進める方法①〜読むべき本の選び方

はじめに

書きたいことを更新する、と宣言していた割に記事の更新に2ヶ月以上経ってしまった。反省も兼ねて、今回の記事は、私自身高校生の時に学校の勉強以上に何かを学びたいと思っていた時に、何らかの参考になるようなものを、目指して書き進めることにする。

私自身、特に社会系の科目に関して、学校で学ぶこと以上のことを学びたいとなった時に、どのような順番でどのようなものを読むことで学びが深められるか、の指針が全くない中で、大学生になってみて反省点が多々ある。以下の文章が、今後高校・中学の範囲を超えて学習を深めようとする学生のサポートになれば幸いである。(幸い新型コロナウイルスの流行もあって、自宅で読書により学習を進めようとする生徒も多いのではないだろうか

 

基本方針

まず初めに、そもそも高校生はどのように学んでいけばいいのかということを私なりにざっと概観する。
大前提として、高校生は学校の勉強、つまり教科書範囲の勉強をまずはしっかりと行うべきだ。高校時代の勉強がどのように大学生活に活きてくるのかは以下の記事を参考にしてほしい。

 

yutas-first.hatenablog.jp

 記事でも述べている通り、ほぼ全ての科目は大学生になった後の学問においても活きてくるものであるし、これは高校時代に怠るべきものではないと考えられる。したがって、この記事は、学校の成績、もしくは大学受験に向けた模試の成績がそこそこ上位である人向け、または今後の受験勉強等において挽回する自信がある高校1年生などが対象になるだろう。

重ねて述べておくが、高校の学習は馬鹿にするものではない。

本選び

次に、では、余裕のある高校生はどのようにして、学校の教科書以上のことを学んでいけばいいのだろうか。基本的に筆者は、新書→大学の教科書→古典・大学出版の専門書、の順番が適切なのではないかと考えている。

新書

この世の中には掃いて捨てるほど新書が散乱しているのは、本屋さんや何かしらの広告等を見れば明らかだと思う。したがって、新書といっても読むべきでない新書もあれば読むべき新書も存在する。基本的には私は高校の図書館にある新書を主に読んでいった。

新書を読むべき理由は2点ある。1つめは一般読者向けの概説書が多くあること、2点目は個別分野に関するものであったとしても解説が簡単かつ丁寧にされていること、以上だ。順番に説明していく。

まず1点目についてだが、新書には「〇〇入門」「はじめての〇〇」といったものが単行本・学術文庫と比較して多い上に内容も良いものが多い。選ぶ際には著者について書かれている部分から、その著者がその分野の専門家、大学の教員等であるかどうかを確かめる必要があるが、authorityさえ確認すれば、新書の対象が一般読者、もしくは教養科目を受講するB1,2であることが多いため、読み口が簡単かつしっかりとした解説が行われていることが多い。高校の社会科目等で興味が出てきた分野に関する新書を漁ってみると、物によってはブックリストや参考文献が記されていることも多いのでその後の読書のきっかけにもなるだろう。2つ目も範囲が1つ目の理由より狭いというだけで理由の背景は大して変われないので割愛する。

大学の教科書

新書をそれなりに読み進めたら(といってもここだけも割と相当な時間がかかるので同時並行でも良いが)、オススメするのは大学の教科書である。

大学の教科書、というと、相当難易度が高かったり、内容が高度に専門的なものであるかと心配する学生もいるかもしれないが、断じてそんなことはない。もちろん、教科書の中でもレベル差は相当あるが、選ぶべきものをしっかり選べば高校生レベルであっても読めるものが多い。(というよりもそもそも高校を卒業して、何も勉強せず大学の教科書を使って大学で1年生が勉強を始めるのだからここにレベルの乖離がありすぎたらだれも大学の授業についていけないことになってしまう)筆者は、この大学の教科書、や大学の出版界が出している一般読者にも読みやすい入門書を読まずに高校時代を過ごしてしまったのでかなり後悔しているところである。

大学の教科書・入門書、と一口に言ってもかなりわかりづらいところであるので選び方についても、私なりに簡単に概説する。

amazonで調べる

まず、一つ目は今日では買い物における王道となっている「amazon」で探すという方法だ。断じてkindleではないという点を強調しておこうと思う。kindleにはない本が良い本であったりすることが多いので。

アマゾンにおいて、新書を読んだ際にいいな、と思った著者がいるなら著者名で、何か興味をもてた学問分野があるなら「〇〇入門」のような形で調べたり、「有斐閣アルマ」のようないわゆる文系用の教科書を出版しているシリーズを指定するなりして調べるのがかなり手っ取り早い、というよりも下のやり方で調べた後に結局amazonで探して買う羽目になることが多い。

この際、レビューはかなり参考になる。大学の教科書・専門書のレビューをしている人は往々にして結構真面目に学問をしていたり勉強していたりする人も多いため、内容の難易度だったり、信頼できるレビューであることが多いのだ。

大学のシラバス(授業カタログ)から調べる

これはあまり知られていないかもしれないが、大学のシラバス・授業カタログといったものから授業を検索して、入門として位置付けれられている授業で使われている、もしくはオススメされている教科書を読むのは相当良い経験になる。筆者自身もキャップ制という履修数制限によって取れなかった授業の教科書をシラバスやカタログから見つけて長期休暇等時間がある時に読み進めて勉強するようなことをしている。

シラバスや授業カタログは、割と公開されていることが多いので是非調べてみてほしい。

catalog.he.u-tokyo.ac.jp

上に貼ったのは東京大学の授業カタログだ、特に前期教養課程においては様々な分野の入門的講義が行われていて、使用教科書もしっかり記載されていることが多いのでチェックして損はないと思われる。

大学のOPなどの時に生協の書籍部に行って教科書のコーナーから探す

この記事を書いているのは4月上旬で、コロナによる緊急事態宣言が出されたばかりなので今年に限って言えばこの手段は使えないと思われるが、一応記載しておく。大学の生協に行く機会があれば是非書籍部を除き、教科書を探すことを推奨する。(大学のopen campusで行く機会もあるだろう)生協の書籍部には、私が通っている大学の場合、ライトノベルなど普通に軽く読めるような本・漫画類もおいているが、専門書・教科書の蔵書数もかなり多いものとなっている。

神保町の三省堂ほどの蔵書数では流石にないが、むしろ蔵書数が少ない分、一冊一冊の質はかなり高いものが多くなっている。また法学・政治学等においては(自分がこの分野に興味があるから詳しいだけだが)ミネルバ書房や有斐閣の書籍に関しては相当数揃っているのでみてみると良いだろう。(確か歴史学や言語に関しての蔵書数も多かった気がする、あと数学分野)

出版社がオススメしているものを買う

上のような買い方とは別に出版社に直接アタック!してみるのも相当良いだろう。

www.yuhikaku.co.jp

さっきから有斐閣有斐閣とひたすら言い続けているのでリンクを貼っておく。ここから自分のレベルにあったもの・分野を探し、amazom等でポチるのが早いだろう

終わりに

いかがだっただろうか、本当は文庫本の選び方や教科書の読み方も書きたいなと思っていたのだが、腕が攣り始めたことと、流石に3000字を超えてきて多すぎるだろうということでこの辺で終わりにする(どうせそんなに読まれないし)。ではまた

高校で「倫理」を学ぶ意義

今回取り上げたいのは、高校生の課程として存在する「倫理」という科目を学ぶことはどのような意義があるのか、という問いである。この科目は文系学生はセンターですら使ったことがなく、理系学生は、「倫理・政経」という科目で受ける人が多いため、あまり単体で勉強されることは少ないのではないだろうか?(これは私の周りの環境だけの可能性も高い感覚なので違っていたらごめんなさい)しかし、大学に入学してみるとこの科目をしっかり勉強しているかしていないかで様々な知識の体系化の効率や学びの深め方が俄然変わってくると感じた。

高校における「倫理」という科目

まず、高校の「倫理」という科目ではどのようなことを扱うのかということについて説明していきたいと思う。

「倫理」はおそらく高校の授業科目として含まれているとしても、センター対策的なところが多いのではないだろうか。少なくとも私の周りの環境はそうであった。しかし、私の所属していた高校はなぜか高校一年生の全生徒に対して週に2時間みっちり授業をする、なおかつ定期テストの出題形式は記述中心とかいう謎カリキュラムで、そのカリキュラムの恩恵をとても享受させていただいた。この科目は「倫理」と銘打ってはいるが、実態は思想史に近い部分があると個人的には感じている。高校一年生の時のカリキュラムでは、世界の部分についてのみ(要は日本思想は扱われなかった)扱われていたため、以下の記述はそれのみについてになるが、ギリシャ哲学から始まり、各種宗教の開祖者について、はたまた大陸合理論やらドイツ観念論やらを扱ったり、ハーバーマスの討議理論についてまでもが範囲である。もはや何が何だかわからなくなるくらい広範な範囲を有していると言えるだろう。高校のカリキュラムにおける「倫理」の定義とはなんなのか。もういっそ「思想史」に改名していただきたい。(楽しいからなんでもいい)

内容としては教科書・副教材たる資料集ともに各思想家について極力第三者的な視点に立って(相対化して)書かれているという特徴はあるものの、一通り勉強すれば、そして世界史などの歴史科目と結びつければかなり網羅的に思想史が学習できるようなものになっているのではないかと考えられる。ただし、法哲学とか政治哲学とかの分野の境界線に近いようなものは取り上げられにくい傾向がある気もしている(ケルゼンとかは取り上げられていない)また、政治学者等も取り上げられていない(そらそうか、という感じではあるが)

大学での勉強ー倫理と絡めて

次に、大学での学びを高校の「倫理」という科目と関連づけてみたい。大学の授業では、特に弊学においては、なんらかの学問分野について「網羅的に」授業が行われることはほぼない。教員の方々の専門分野に引き付けた狭い範囲を掘り下げたり、自説の提唱が多かったりする。それもそれで楽しい。しかし、その取り上げられる狭い範囲というものも大きな時代の流れがわかってこそのものである。

例えば、高校の世界史において、世紀ごとの世界地図が資料集の巻頭についているからこそ論述等においてマクロ・ミクロ双方の視点に即した書き方ができるのであり、これは大学の様々な文系科目においても、倫理という授業を通じて一通り教養の素地になるレベルまで叩き込まれたある思想の流れ、変遷がわかっているからこそ(授業によってはそのような定説が否定されるものもあるが、それこそ元の知識があってこそ)より深く理解できるというものである。従って、「倫理」という科目は文系学生にとってかなり重要だということもできる。

なぜ、理系ばかりが「倫理・政経」という形でのみセンター試験で利用するような科目に成り下がってしまったのだろうか。不思議な上に悲しい気持ちになる試験前の夜である。

「倫理」を大学から眺める

以上のように「倫理」という科目を言わば賛辞するかのような内容を書いてしまったわけだが、この記事では、別に「倫理」で学ぶ内容が全て世の中の真理であるから、大学の勉強がサボれるようになる、ということを言いたいのではない。「倫理」という科目は高校の授業になっているという性質上、おそらく最も無難な解釈や説明がなされていると思われる。いわゆる「教科書的には〜〜」みたいなアレである。従って、上でもさらっと触れたように大学の授業において異なった解釈であったり説明がなされることもある。だからと言って「倫理」の授業そのものが否定されるわけでもない。むしろ私は「倫理」という授業が軽視されがちであることに対して問題意識をここで提起したい。

最初のところで「倫理」は言わば思想史のようなものであると書いてしまったが、教科書の後半には生命倫理のようなより実生活・社会に即した記述も存在する。教養主義という言葉が昔あったようだが(中公新書でこれについて扱った本が存在する。面白いので是非手に取っていただきたい)、これは昨今失われて久しい。一方で、コンピュータリテラシーとかいう言葉にも代表されるように、倫理的な事柄について自らで考える力が求められるような時代になっていると言えるだろう。従って、教養「だけ」が重要とは言わないが、高校の「倫理」で扱うような基本的な事項については、文系・理系問わず現代社会において知識として持っておくべき最低限の事柄が多いように思われる。センター対策としての科目の性質を有することが多いのは致し方ないような気もするが、せめて文系であってもこれらの内容に触れる機会を、大学に進学する人だけではないことから鑑みてより積極的に取り入れていく必要があるのではないだろうか。

とはいうものの、高校までの教育の間に求められる教科の量と質が過剰すぎる気もしている。重要なのは事実なので、非力な子供は与えられる課程に対して精一杯取り組むしかないのかもしれないが、時代を追うにつれてどんどん大変になっていくのだろうか。