銀杏小道

「東京の大学」生の手帳

オンライン授業でレポートを書く修行・苦行

よく雨が降る季節になりました。前回の投稿からおよそ10日しか経っていませんが、オンラインで書くレポートが悲惨すぎて涙が出そうなので「ええいままよ!!」とブログを書くことにしました。書き殴り記事です。

オンライン授業の感想についてはこちらの記事をご覧ください。

 

yutas-first.hatenablog.jp

 

オンライン授業の課題

さて、まずどれくらいオンラインで書くレポートが悲惨か、の前に、現状オンライン授業でどのような課題が出ているか等を確認していきたいと思う。

基本的に、大学の単位は期末の試験 or レポートの評価で認定されることが多い。中には必修の科目とかで出席が得点につながることもあるが、これはもはや欠席したら負けの減点方式なので大体の人との差は試験・レポートでつくと見て良いだろう。
しかしながら、自粛解除の兆しが見え始めたとはいえ、大学の試験をオフラインでやることは極めて難しいと判断した大学側、そしてその判断を見越していた教員側がレポートでの評価をほとんどの全ての科目の評価軸に据えてきたのが現状である(一部言語科目等を除く)。つまり、試験3 : レポート1くらいの評価数でこのバランスを得意不得意に合わせて調整しながら履修登録をしてきた学生にとっては、全てレポートになってしまい、いわゆるコツコツ勉強しておいて悠々自適にテスト受験、とかそもそもあまり勉強せず浅漬け、みたいな勉強方法が通用しなくなってしまったわけである(レポートの方がおそらくどこまでも拘れるし、サボればサボるほど点数に直接響きやすい、と思う)。(これは教員側の負担も増えていて、試験は記述式とはいえ、問いがかなり明確に定まっていることから採点も基準をそれなりに設けることができるのか?レポートより楽だが、レポートにすると突拍子もない構成と内容にする学生がおそらく一定程度いたり、レポート特有の「若干の新規性・独自性」によって採点がかなり難しくなっているものと思われる。本当にありがとうございます、、、、、、)

加えて、大学側からお達しが出たのか、「レポートを数回程度に分けて評価しろ」みたいな感じの風潮ができ、あろうことか2~3回のレポートで評価、みたいなことが起こりやすい環境になってしまったため、学生側からすると、レポートを何本を抱えて授業を欝々と受けるという状況が生じてしまったわけである。

オンラインの状況におけるレポートの書き方

図書館がないという苦行

そんなこんなで、レポートを大量に抱えやすい状況なのだが、図書館が使えない状況におけるレポートがかなりきつい。そもそも学部1,2年生が受ける授業というものは自分が専門としているものではなく、いわゆる「一般教養」の授業も多いわけである。すなわち、授業で習った内容以外の部分に関して予備知識がほとんど入っていない科目も多い。本来その科目特有の予備知識みたいなものはレポートを書く前に、本を読んだり、読まなくても少し図書館をうろうろしてテーマを見つけたり、という作業が必要になるわけだが、自粛期間で大学も施設を開けていないということもあり、全くこの0段階目のレポートを書く作業ができない状況に追い込まれているのである。

「いやいや、ネットあるやん」という声も聞こえそうなところである。基本的にインターネットというものは、勉強する側からすると、便利な部分もあるが、あくまで「能動的に」リサーチを進めるのに適している媒体であると言える。授業内容以外ほとんど知識のない学部ひょろひょろ1,2年生が、さあレポートを書くぞ!となったときにどんなワードで調べれば必要な知識が手に入るのか、そもそも必要な知識は何か、ということを手に入れるのには適さない(ことが多い)環境なのだ。

その点図書館は、書架をグルグルすれば新書や文庫の手に取りやすいもの、教科書なども専門書と一緒に並んでいることから、その分野における予備知識や周辺知識を意図せずに多少受動的であったとしても「「「手軽に」」」手に入れやすい環境が整っていると言える。本を読むなら買えばいいじゃないか、という声も聞こえてきそうだが、そんなにやたらめったら本を買うのはきつかったり、そもそもどの本が適しているのかも選ぶ必要があることから、図書館よりは利便性が下がってしまうものである。

オンラインでレポートを書くことのメリット

ぐちぐちと愚痴を書いてきたわけだが、私なりにレポートを書いてみて気づいたオンラインにおけるレポートを書くメリットも存在する。それは「否が応でも英語論文に触れられる」である。上述の0段階目を多少なりともクリアした状況に限るが、本・論文集に図書館で触れる機会がほぼ0になっている以上、英語論文という情報の塊!のようなものにアクセスするしかない!という状況に追い込まれるのである。

そもそも、学術の世界で(おそらく)認められている文献の多くは英語であり、質・量ともに日本語文献は叶わないことも多い(かもしれない)。しかし、読みやすさ、図書館にあるという手に取りやすさ、などなどの理由から日本語文献を使うことがオフラインだと多いわけだが、オンラインにより英語文献と日本語文献の使い勝手が逆転する現象が起きている。日本語の論文集や本は、基本的に英語文献と異なり、オンライン化がほぼ全く進んでいないと言っても過言ではないほど進んでいない(実際は多少進んでいる)。英語論文は、私も理由についてはあまり知らないが、オンライン化がそこそこ進んでおり、コロナの影響で、オープンソース化がかなり大規模に行われている。従って、どのようなことについて書くか等々の段階を終えた後であれば、参照する研究は日本語よりむしろ英語のほうが学生にとってはとっつきやすいのである。

おわりに

そんなこんなで「ヒーヒー」言いながらレポートを今日も書いている。学生の皆さんと痛みを分かち合いたい。