銀杏小道

「東京の大学」生の手帳

ひまつぶしとは何なのか

暇つぶしとは何なのか、これを昨日考えた。あ、あけましておめでとうございます。

我が家には、自粛期間中に購入した任天堂switchがある。(リングフィットアドベンチャーで運動不足解消に勤しんでいる)そして、家族のうちの一人はその中のスマブラにどハマりしているように私からは見受けられる。時間があれば、スマホをみるかスマブラをするかという生活を送っているのだ。

閑話休題。私は年始3日間、「何もしないぞ」と決めてだらだらと過ごした。1日のうち9時過ぎに起きて、ご飯を食べ、テレビを見て、ゲームをして、テレビを見て、(外出して)、ご飯を食べて、テレビとゲームをして、少し花札をして寝る、という生活である。ここで思ったのだ。暇は作るなのではないか、ということを。確かにこの3日間、暇であった。しかし今月末にはテストを控えているし、やろうと思えば、読まなければならない本もたくさんあるため勉強しなければならない環境にあるのだ。しかし暇であった。これは暇をないところから錬成したということなのではないか。となると、そもそも人間に「暇」という状況は原義上は起こり得ないのではないか。

スマブラをしている彼は「なぜそれにそこまでハマれるのか」ときいた所、「別にハマっているわけではない、そしてそこまで好きでもない。暇つぶしにちょうど良い」と言っていた。暇つぶしとは何なのか。わざわざ作った暇をつぶすとは何なのか。どうしたら暇は生まれるのだろうか。

わからないことが多いなと感じた今日この頃である。そんな私も今課題に追われている中で思い立ってブログを書いている。やはり暇というものは現実逃避と同義なのだろうか。

ところでひまつぶしはひつまぶしに見える。